コラム

コラム-Vol63 アクセントクロスって?

一般的な日本の住宅で使われている白色のクロスは、清潔感であったり、気持ちの切り替えや始まりを感じさせるため、新しく生活を始める方に好ましいと考えられています。しかし、その一方で無機質な印象を与え単調になりがちです。そんな白色で統一された部屋の一部に、目を引くような色や柄の壁紙でアクセントをつけると遊び心のあるおしゃれな空間が生まれます。


寒色系は引き締まった印象で奥行きを演出し、部屋を広く感じさせてくれます。


木目調はカフェ風の内装を気軽に楽しめるだけでなく、家庭的な優しい雰囲気で植物がよく合います。

他にも、暖色系は膨張色のため狭く感じることもありますが、穏やかな印象で日差しを演出します。パターン模様ならば種類にもよりますが、華やかさやモダンな雰囲気を添えてくれます。コンクリート素材風などは、調度品と組み合わせて選ばれる傾向にあります。

アクセントクロスは、部屋の魅力をアップさせてくれるアイテムです。近年弊社でも取扱いを進めておりますので「派手すぎないだろうか」「どんな色や柄を選べばいいのかわからない」といった不安も、お気軽にご相談下さい。

コラム-Vol60 シェアリングエコノミー


シェアリングエコノミーとは「個人が保有している遊休資産の貸出を仲介するサービス」です。これは大きく分けると物、場所、人、移動の4つがあり、まだまだ広がりを見せています。SUDO NEWSでは(2009年)vol.33で自転車のシェア事業が登場するかもしれないと掲載しましたが、今では珍しくないサービスとなりました。実際、当社管理の駐車場を利用したレンタルサイクルも登場しており「所有」から「シェア」へとシフトしていく時代の流れや価値観の変化は緩やかに、しかし確実に進行しています。「豊かさとは、モノを所有すること」という産業革命以降続いた価値観が終焉する歴史的な瞬間を、目の当たりにしているのかもしれません。法整備が間に合っていない側面をクリアすることが求められますが、賃貸経営にも多大な変化をもたらすのではないかと考えています。これからも拡大を続け、思いつかないようなモノまで「シェア」する時代になるのでしょう。今後も注目していきたいと思います。

コラム-Vol55 社内ボウリング大会

以前社員コラムにて紹介しました社内ボウリング大会の模様をお伝えします!今回で12回目の開催となりました。今回の開催場所は渋谷にあるシブヤボウリングです。6チームに分かれてチーム戦、個人戦で争われます。

それぞれのレーンで歓声が上がり、ハイタッチをしたり、隣のチームと競い合っているレーンもありました。

そして、ボウリングのあとは順位発表を兼ねた食事会です。趣向をこらした賞品の数々。当たって喜んでいる人もいれば、それを横目に悔しがる人も…

仕事を離れた場で会話も弾み、各々親交を深める良い機会となっており、社内交流に一役かってくれています。今後も社員一丸となって会社を盛り上げてまいります。

コラム-Vol50 思いやりのランチ

7月のとある日、35度の炎天下に10分ほど並び二人満員の店内へ入った。「いらっしゃいませ!久しぶりね」と愛嬌たっぷりに迎え入れる。ここの女将さんは、3日ぶりでも3ヶ月ぶりでも同じ台詞。たぶん冗談のつもりだろう。もうすこしマメに来てよ、といわずにいつもそういうのだ。ブラックジョークといえなくもないが、実にウィットに富んでいてユーモアがある言い方をする。

冷やし中華と中華丼カレー味を注文。中華丼のカレー味は珍しく、前回私がそれを食べたとき、後輩はうらやましそうに見ていた。うまかったと言ったこともしっかりと覚えていた。

5~6分ほどして冷やし中華と中華丼がテーブルに。冷やし中華は野菜たっぷりで赤緑黄色に彩られ食欲をそそる。そして中華丼は……カレー味ではなかった。「すみません、間違えました。すぐ作り直します」……数秒の沈黙。

「いや、普通の中華丼でもいいですよ。それはそれで好きですから。カレー味は次回食べますよ」後輩のその対応に敬服した。きっと仕事の際にも同様の対応をしているだろうと想像した。

「ありがとうございます。助かります」と店員。「カレー味もうまいけど、やっぱり普通のしょうゆ味の中華丼はもっとうまいよ」と私は何故か作られた中華丼の味方をしてしまった。後輩がより食欲を増すように…。注文を間違えることはプロとしてはあってはいけないこと。しかしそのミスを受け入れ楽しんでしまうことは、実は人生の楽しみ方にも通じる。

後輩はご飯粒一つ残さず完食、まるで器を舐めたかのようだった。そして「二人分一緒に勘定お願いします」「1,300円です」「あれっ、1,550円じゃないんですか?」「中華丼はワンコインにしておきました」と奥の厨房から店主の笑顔。250円おまけしてくれたのだ。ちょうどいいディスカウント。
間違って作ったメニューを受け入れて食べる、食べた人への誠意として少々のおまけ。たわいもない話だが、余計なことを言わない一連の大人のやりとりには人間の誠意とコミュニケーションの原点を感じた。

食事は何を食べるかではなく誰と食べるかが大切、といった人がいるが、それに加えてやはり味とお店のスタッフも大事な要素。この店は活気があり笑顔が絶えない中華料理店。いつも美味しく気分よくいただける。元気をもらって午後からの仕事にも好影響をもたらす。

こんな思いやりを持つ人が多くなれば無用な揉め事や無駄は無くなり、ストレスも減る。それは快適な暮らしにも通じる。こだわりより歩み寄り、思いやりを受けることより与えることがより賞賛される。私が次に何を注文するかは決まっていないが、後輩は間違いなくカレー味の中華丼にするだろう。そのときはきっと、よりおいしく感じるに違いない…。

コラム-Vol49 天童のそば処

ゴールデンウィークだというのに着いた日の蔵王温泉の気温は10度に満たなかった。この時期でも蔵王の一部ではまだスキーができるそうだ。

5年ぶりに会う友人は芋焼酎を片手にロープウェイ玄関口で出迎えてくれた。

お世話になる宿の風呂に入らず、よりうまい酒を飲むために広い露天風呂のある温泉まで歩いた。お互い根っからの酒好きだから。近況と懐かしい話を肴に飲み、一晩があっという間に過ぎてしまった。
翌日は比較的暖かかったが、バイクでは寒すぎるという友人の助言で観光名所の「御釜」には行かずに銀山温泉へと一人旅を続けた。

途中、山形市内に着いたのがお昼前。予定していた冷やしラーメンの店にはすでに行列ができていて、昼食は天童の蕎麦に変更。出羽桜酒造近くの「そば処」の看板と紺色の小綺麗な暖簾の老舗蕎麦屋を見つけた。専用駐車場も賑わいを見せていて私の期待は膨らんだ。

暖簾をくぐると店内は満席。しかし何故か客が全員焼きそばを食べている。客層もさまざまで、ここは蕎麦以上に焼きそばが人気なのだろうと思いながら壁に貼ってあるメニューを見て驚いた。「焼きそば(並)」「焼きそば(大盛)」「煮込み」の3つだけ。焼きそば専門店だったのだ。山形は蕎麦とともにラーメンは有名だが焼きそばは聞いたことがない。店構えはどう見ても日本蕎麦屋の筈がと思いつつ焼きそばと煮込みを注文した。横手焼きそばは目玉焼きと福神漬け、富士宮焼きそばは肉かすなど特徴があるが、ここの焼きそばは薄焼き卵とハムの千切りが入り味はやや薄め、青のりが沢山かかっていてお好みでソースを足す。見た目は私が子供のころ食べていた屋台の焼きそばのようで特別インパクトがあるわけではないが、ボリュームとシンプルな味の焼きそばには大いに満足した。

国道13号を右に曲がり、徳良湖の上を泳ぐ鯉のぼりの大群を見て、今日はこどもの日だったことに改めて気づく。それから北海道を思わせる道を走り、火の見やぐらと茅葺屋根の六沢地区を通り過ぎると目的の場所へ。
銀山温泉では5人ほどで満員になってしまう300円の公共浴場に入ってみた。素朴でやさしいお湯だった。

温泉街の奥にある白銀(しろがね)の滝は予想をはるかに超えた迫力。名声だけでなく、西の有馬、東の銀山といわれるようにここは長い歴史に裏打ちされている。
翌日、前日に食べ損ねた冷やしラーメンの店へ一番乗りで行き、一路山形道から東北自動車道を南下し帰途についた。

旅を振り返ると予想外の展開が一番思い出に残る。今回の旅も「そば処」の「焼きそば」が、やはり一番の出来事、いや今年一番の驚きだったかもしれない。

コラム-Vol48 お箸の国、ニッポン

食事のとり方でその人が兄弟の上か下かが分かるそうです。上の子は周りを気遣いながら、下の子は食べたいように、間の子は普通に食べると言われ、一人っ子の場合は下の子と同様だそうですが、皆様にはこのことが当てはまりますか?

ある日の昼食で、知人が「三角食いができない」と言っていました。初めて聞く言葉でしたが、「三角食い=ごはん→みそ汁→おかずを交互に食べる食べ方」とのこと。彼は小鉢がついていたら最初に全部食べてしまい、その後もおかずを一品ずつ平らげ、最後にみそ汁を一気に飲み干すのだそうで、「みそ汁、冷めちゃうよ」とアドバイスしても、「問題ないです」と返されました。良い方に解釈すれば、会席料理やフランス料理のように一皿ずつ、ひとつひとつ味わって食べるとも取れなくはないですが、私にとってはなんとも違和感がありました。おかずが10種類ぐらいあったら一体どうするのだろう?

話は変わって、日本のものではないスパゲティなどは音を出して食べませんが、日本蕎麦、うどん、ラーメンは音をたてすすって食べたほうが断然美味いと思います。日本茶も音を立てて冷ましながら空気と一緒に飲みますが、紅茶やコーヒーは音を出しては飲みません。日本では、麺類やお茶などをすすることを無作法とはしませんが、西洋では、音をたててスープをすする事はタブー。熱いものを熱いまま口にする習慣がないので音を立てずに飲めるのでしょう。日本ではソーメンや冷たい蕎麦も音を立てて食べる。それは日本には風味を楽しむ文化とうま味を感じる味覚があるからでしょう。外国の人が蕎麦をすすることができずに食べているのを時々見かけますが、決して美味しそうには見えません。日本のものを日本の食べ方で食べているのに、それを批判されるのを余計な事だと思うのは私だけでしょうか。

各国の食事に関するしきたりやマナーには、地域性があるにしても、主客から箸をつける・食べ物が全員に行き渡るように取り分けることなど、共通点も多く、また、足を組んだり、肘をついたり、髪を触ったりする事は、多くの国でマナー違反とされています。姿勢を正して食べることや相手に不愉快な思いをさせないことは国を問わず基本的なエチケット。食事する姿やふるまいが美しいのは、見ていて気持ちがよいものです。食べるということは本能的な行動だけに、マナーはどこの国でも昔から大事にされてきたようです。

「箸に始まり、箸に終わる」と言われている日本人の食事作法。箸を使うことは指先を器用にする。日本人ほど手書きの文字がきれいな国はないと思うし、また、日本人のものづくりの技術が優れていることにも関係しているのかも知れません。

××マナー違反とされ嫌われる代表的な箸の使い方××
●刺し箸…食べ物を突き刺す
●そら箸…いったん箸をつけたのに、食べずに箸をひく
●ねぶり箸…箸を舐める
●迷い箸…何を食べようか迷って、箸をあちこち動かす
●寄せ箸…箸で器を引き寄せる などなど

コラム-Vol47 高円寺の粋なCafe

 ある日、友人とすこし遅めのランチをとろうと高円寺駅付近を模索していた。商店街から横道に入るとスパゲティ中心の食欲をそそる手書きのランチメニュー。リーズナブルというか安すぎるその価格に戸惑いを覚えたが、興味が先立ちドアを半分開けて中の様子を覗おうとした時に、「いらっしゃいませ!」という愛嬌のいい女性スタッフの元気な声。後に引けなくなった我々は引き込まれるように店内へ…。ランチタイムのピークは過ぎているのにかなり混んでいた。

若者の多い街にふさわしく気さくで清潔感のある内装と造作。店中央奥のテーブル席に案内され、ペペロンチーニとナスとベーコンのトマトソース、アイスティーとアイスコーヒーを注文。程よい時間で2種類のスパゲティが笑顔と共に運ばれ、小皿2枚もおいてくれた。二皿ともボリュームがあったし、シェアしたかったので小皿はとてもありがたかった。友人は私より大分小柄だが大食い。おそらく私の2倍は食べたであろう。一般的に「痩せの大食い」というが、「小柄な大食い」もあると思った。

昼食時のピークが過ぎていたこともあり、また友人の相談事のためランチにしてはずいぶん長居をしてしまった。そんな時、大抵の店はこれ見よがしに水を注ぎにくるが、それが悪いイメージを抱くことも…。この店もご他聞にもれず店員がやってきた。しかし、私の固定観念が見事に覆させられた。

店員…「ホットコーヒーはいかがですか…」。友人…「おねがいします…」。友人…「すごくうれしいサービスだね」。私…「ほんと、今までこんなこと経験ないよ」。それからまたコーヒーを飲みながらしばらく話していた。だが、「物事には裏がある」と普段から思っている私はまた別なことを考え出した。これは「そろそろお帰りになったらいかがですかのコーヒーかな」。しかし、たとえそうだとしても、とてもおしゃれでスマートな対応である。帰ってほしいという雰囲気などおくびにも出さず笑顔でコーヒーをサービス。これなら客も決して気分を害することなく席を立てる。店のコンセプトなのか、店長の気配りなのか、あるいは店員のアドリブなのかは分からないが、飲食業とサービス業の原点を感じた。

笑顔のスタッフに加えて店のコンセプトとホスピタリティがしっかりしていればサービス業は無敵である。たとえコーヒー一杯だけでもお客は癒しのひと時を求めに来る。

勘定を済ませた後、担当してくれたスタッフが丁寧に頭を下げて「ありがとうございました。また是非お越しください。」この「是非」がとても心に響いた。味もいい、価格も納得、スタッフも誠実、そして何より気分がよかった。

店を後にして「また行きたくなるお店だね」と言うと、「僕もそう思っていたところだよ」と友人。そろって笑顔になっていた。

コラム-Vol46 巡り合いと常総の赤いか

常磐道「谷和原インター」から10分ほど走ると水海道の街。現在は常総市といい、鬼怒川と小貝川に挟まれた平坦な田園地帯。そこで開催される花火大会を見るためにクルマを走らせた。会場の近くで広めの駐車場がある民家のインターホンを押した。しばらくすると奥様らしき人が現れ、駐車願いの件をご主人に確認している。電話を切ると笑顔で「いいですよ。学校の先輩なんですね。ただ家も今日は来客があるので端のほうに止めてください」。地元の高校出身だということを予め伝えておいたから私を先輩と呼んだのだ。

「では、花火が終わったら挨拶はせずに帰りますのでよろしくお願いします」そう言い残し私は会場へと向かった。観覧席の土手には色とりどりの屋台が並び、家族連れやカップルなどで賑わっていた。私は好物のやきそばをぶら下げながらパンフレットを買うために土手下の本部へ向かった。一部100円の値段は何年も変わっていない。小銭を出そうとジーンズの右ポケットに手を入れると50円玉1個と十円玉4個だけ。千円札を渡すと、販売スタッフは困った顔で「お釣りがないんですよ」「えっ、小銭を用意していないの?」と思っていると「私もパンフレットひとつ」と割り込んできた人が「私が払ってあげましょう。返してくれなんて言わないから大丈夫」。私たちのやりとりを聞いていたらしい。見ず知らずの人に払ってもらうわけにはいかないと遠慮したのだが、スタッフは100円玉をすでに受け取っていた。「ありがとうございます」と言ったときすでに彼は歩き始めていて私の声は人ごみでかき消されていた。後姿から警察官と知り驚いた。言葉の訛りで地元の人だと分かった。関係者ならパンフレットくらいは貰えると思うが、彼は自分の立場をわきまえていた。きっとパンフレット代金はどこかに寄付されるのだろう。

売り場を後にして土手を歩いていると私を呼ぶ声がした。花火写真家のGⅠさんだ。彼とは酒を飲んだり温泉へ行ったりした間柄だったが、ここ数年は会えていなかった。撮影の準備に忙しそうなので来月の再会を約束して別れた。

ここは一般の人には有名ではないが日本で一二を争う花火会社や花火師のすばらしい花火と演出があり、花火通の人たちには名の通った大会。したがって花火写真家のGIさんも何度もここを訪れているようだ。

今朝は豪雨と雷だったが、打ち揚げ中はちょうどいい風と空色になり、花火が終わったときに見えた空の星。日本屈指の花火と夜空の星の数に刺激され私はいつもより高揚していた。

帰り際に名物「赤いか」を買った。「煮いか」というのが正式名称だが私は見た目のその色合で子供の頃からそう呼んでいる。このエリア限定の屋台でそのうまさは言葉に表せない。

クルマを置かせていただいた駐車場の門扉に「ありがとうございます。助かりました。花火はやはりすばらしかった。また来年!」と書置きを残し、車内に赤いかの香りを漂わせながら国道294号線を南へと向かった。

コラム-Vol45 正義という男

いつも笑顔で迎えてくれるねじり鉢巻の大将。台風が来ても嵐になっても定時までは決して閉店しない。

暖簾をくぐると10席ほどのカウンター席と小上がりひとつ。正面には神輿を担いでいる大将の大きな写真。ガラスケースの中は新鮮な魚の宝箱。お品書きは毎日女将さんの手書きで、その数二十数種類。広いとは言えない厨房で何故あんなにたくさんの料理が作れるのだろう。まるで手品のようだ。

お通しを出すのは座ってから20秒以内。ジョッキの上部が泡20%の完璧な生ビールはその20秒後に出てくる。最初の一杯目を出すときに「お待ちどうさま」ではなく「お疲れさま」という女将さんの笑顔に一日の疲れも飛ぶ! 二人はいつも一緒、毎日9時間立ちっぱなし。

魚屋で働いていただけあって魚のうまさは太鼓判。盛り合わせを注文すると、彩りよくマグロの赤身、白身のヒラメ、自慢のシメ鯖やコハダをツマと海草の上に丁寧に盛り付けてくれる。そして「綺麗どころ一丁!」といってカウンターに載せる。

他にお勧め料理はたまご焼き。納豆入り、ネギ入り、ニラ入り、シラス入り、プレーン、なんでも作る。焼きおにぎりにしても、おそらく全国で一番の味であろう。毎日のように来てくれる人のために数品は必ず新メニュー。

大将の夕食は混み具合と客の注文状況をみて決める。時には立って食べる。そして早く食べる。大きな口をあけてご飯を豪快に食べる。私はあんなにうまそうにご飯を食べる人をかつて見たことがない。

酔っ払い過ぎの客は追い返してしまう。飲み過ぎの客には酒を出さない。それが客層のいい店を作っている。よってこの店に酒癖の悪い人はいない。客も店を大事にしているし、店も客を大事にする。店を選ぶのは客、客を選ぶのは店。客層も幅広く、若い女性やカップル、開店以来通い続けている年配の男性。店から1時間以上も離れたところに引っ越した夫婦も毎週通い続けているという。

30年以上のプロに対してはいささか失礼な言い方だが、料理の腕前は超一流。時々メニューに無いものを頼んでも「あいよっ!」と気持ちの良い返事。「店にある材料で作れるものは何でも作っちゃうよ!」ほんとうにありがたい。麻婆豆腐もご飯もあるのに麻婆丼を作ってくれないどこかの中華屋、大盛りはできませんなどと意味のわからないことを言う蕎麦屋とは大きく違う。

このような店は、グルメ雑誌やTVなどでは到底見つけられるはずもない。長年かけて自らの足と舌で探し当てた、まさしく「私の名店」なのである。

コラム-Vol44 出会い

東急線「旗の台」駅の裏路地にある魚料理の店を小林さんと出たのは夜の11時頃だった。5月も終わろうとするのに冷たい雨が二人の傘を濡らしていた。ミャーミャーという子猫の鳴き声が聞こえる。立ち止まって周りを見渡したが何も見えない。気のせいかと思い歩き出すと、またミャーミャーの泣き声。目線を上げてみると工事中の足場に若い女性が猫を抱いて立っていた。「子猫がいるんですよ」「誰かが捨てていったみたいです」不安そうな彼女の元へ駆け上がると、目も開いていない子猫が彼女の腕の中で悲鳴をあげていた。「どうするつもりなの?」無責任に聞いてみた。すると若い男性が現れた。彼氏らしい。「俺たちで飼いたいんですけど、アパートがペットダメなんですよ」悲しそうにいった。やさしい若者だ。「小林さん家、ネコ居ましたよね。もう一匹どうですか?」私はまた無責任なことをいった。

私たち4人はしばらくの間、小さな命の今後について適切な方法を話しあった。結果「とりあえず今夜一晩だけ預かるよ」小林さんが重い口を開いた。「そのかわり今晩だけ、明日引き取りに来てくれるね」若いカップルに向かって真剣な顔をしていった。「わかりました。よろしくお願いします」彼らは申し訳なさそうに頭を下げた。次の日、約束どおり若いカップルは小林さん宅へやってきて病院には連れて行ったが、引き取ってはいかなかった。それから毎日小林さん宅に連絡をしてきたが引き取りに来ることはなかった。子猫がミルクを飲むことを覚え、目が開いた頃には、若いカップルは来なくなってしまった。すこし無責任な話だと思うが、小林さんの愛情に託そうと考えたのだろう。自分たちが今焦って飼い主を探すより子猫にとってはより幸せになるのではと…。

小林さん宅は一軒家だがすでに2匹のネコがいるためこれ以上飼うことはできないという。それでも彼の指を乳首代わりに吸う子猫に家族中が愛をそそいだ。トイレのしつけが終わろうとする頃、里親探しが始まった。

彼は日々元気になる子猫の写真をほぼ毎日のように私の携帯に送ってきた。どうやら私に里親になることを勧めているようだ。私にも飼いたいという思いはないわけではなかった。小林さんが私に里親を勧めるのには理由がある。実は私もネコを飼っているからだ。しかしネコ同士は相性がとても大事ということを以前何かの本で読んだことがあり、2匹飼うことを躊躇っていた。と同時に、旗の台で小林さんと一緒に子猫と出会ってしまった私は、小林さんに子猫を預かってもらっていることに対して申し訳ない気持ちもあった。

そして梅雨も明けた頃、小林さんの努力が実を結び、子猫は彼の仕事の取引先の女性に無事引き取られた。

彼が育てているときは「旗ちゃん」と呼んでいたが、引き取り先の人にその名前を伝えることはしなかった。後日、彼が名前をたずねると「ハナちゃん」と名づけられ、フカフカのジュータンの上で寝ている姿が写メで送られてきた。

雨の中、工事現場で拾った命がつながれて、今幸福に暮らしている。私には何もする事ができなかったが、小林さんのおかげでしあわせのお裾分けをいただいた。ありがとう…。