コラム-Vol.8 電車通勤
先日、いつもよりすこし早起きして久しぶりに電車に乗った。10分ほど歩いて駅に着いたら、ちょうど上りの電車が行ってしまったところだった。
切符ひとつ買うのもドキドキ。お金はどこに入れるのか、最初に金額を押すのか、人数を押すのか、乗換えを押すのか、全くわからない。結局駅員に千円渡して「広尾」までの切符を購入できた。そして切符を改札の機械に入れてから出てくるまでの一瞬の不安。改札を通ると売店があった。「牛乳でも飲もうか!」と思ったが、電車が来たのでやめた。
久々の電車通勤は拙者を新鮮な気分にさせてくれた。しかし不安もあった。「超満員だったらどうしよう」Γ痴漢に間違われないようにするには両手を高く上げていたほうがいいのか」「でもそれを40分間統けることはできない」「年配の人がいたら席を譲ったほうがいいだろう」Γ新聞は読めるのだろうか」「何時に着くのだろうか」「急行に乗り換えたほうがいいのか」「タバコは着くまでオアズケだ」
車通勤はラジオを聞いたり音楽を聴いたりすべてが自分一人の自由空間。寝癖が付いていようと無精ひげが生えていようと気にしない。しばらく風呂に入っていなくても人に迷惑はかけない。しかし電車の場合そういうわけには行かない。前夜、ニンニクを食べられない。朝、納豆にネギを入れてはいけない。
電車にはいろんな人がいる。「新聞を読んでいる人」「週刊誌を読んでいる人」「ボーっと窓の外を眺めている人」「寝ている人」「携帯で新聞を読んでいる人」「携帯でメールをしている人」これが一番目に付いた。車掌のアナウンスが入った。偶数車輌にお乗りの方は携帯電話の電源を切ってください。奇数車輌に乗っている方はマナーモードにしてください。」拙者は意味がよくわからなかった。この違いは何なのか?電源を切れというのは察しがつくが、奇数車輛は音を出さなければ通話もメールもOKなのか。それとも特別な事情がある人ほ、かかってきた相手だけは確認できるということか。考えてもやっぱりよくわからない。拙者は病院以外ほとんど電源を切ることはないし、第一その時自分が乗ったのは奇数車輛なのか偶数車輛なのかわからなかったので電源を切らずにいた。もちろんマナーモードにはしていたが。
少し前の話だが外国映画で日本人が何十人も街中に出てきて全員携帯電話で喋っている皮肉的なシーンがあった。外人からみれば日本人はみんなそういう風に見えるのだろうか。若干恥ずかしい気がした。
一緒にいるとき携帯電話をしょっちゅう確認している知人がいる。かかってきていないのに見る。メールも来てないのに見る。今はオレと一緒なんだからあまり他の人のことを考えるな、と言いたい。オレの話がよほどつまらないのか、それともその人の単なる習慣なのか知らないが、いずれにしてもあまり気分のいいものじゃない。新聞を見たりラジオを聞いているのと同じだよ。気配りや思いやりがない。いやこれは相手に対する「最低限のマナー」かも知れない。車という自由空間にいることが多い拙者も「思いやり」や「気配り」をなくさないようにしたい。