コラム-Vol.14 祭り

1.神霊に奉仕して、言を慰めたり、祈ったりする儀式。
2.記念・祝賀などのために行う行事。3.商店がある時期に行う特売宣伝。

夏の風物詩、花火。それはたまたまだった。元来「祭り」には豊年万作とか疫病を追払うといった「願い」や、「供養」など、人の心が込められていたりする。夏に祭りが多いのはそのためで、元々「厳かなもの」だったのではないだろうか。「隅田川」が東京でいちばん有名な花火大会だと言われているが、やはり始まりの経緯は夏の疫病を追払う順いがあったそうだ。隅田川の花火に限ったことではないが、そういう「祭り」は、当初の目的とは別に最近では「楽しいイベント」になっているものも多い。私も子供のころは祭りの目的や歴史など考えもせず、ただただ単純にはしゃいでいた。「やきそば」「たこやき」「金魚すくい」「綿アメ」に「お面売り」。人が集まり、楽しそうにしているのを見るだけで心が躍り嬉しかった。

花見は今も昔も「俸く美しい桜の花を見ながら遊び楽しむこと」。花火はもともと厄払いの儀式だったものが単純に「花火を見て遊び楽しむこと」に変化した。花は自然の美しさ、反対に花火は人工の美しさ。よって花火はその技術と芸術性を競い合う。共通する魅力は一瞬の儚さだろう。消えてしまう尊さ、潔さ、そして夢。

もともと人はさみしがりやで、昔から何かにかこつけて集まり遊び楽しんだ。地元の人たちだけの楽しみであった「祭り」がロ伝えで広がり、やがて噂を聞いて遠方からも駆けつけるようになった。そういうお祭りは「願い事を叶えてくれる神がいる」「大きな神輿が練り歩く」「屋台がたくさん出る」「男らしさを示す儀式がある」など、多様である。

吉田拓郎の「祭りのあと」という歌がある。「祭りのあとのさみしさは、いやでもやってくるのなら…」と始まる。祭りには家族、親戚、友だちが集まり、飲んで食べて語らい、楽しい時間を過ごす。でも、だからこそ終わったあとが寂しいし、切ない気持ちになる。私は子供の頃、遠足や旅行の帰りにも、なぜか切なく空しい気持ちになった。今でも同じ感覚になるときがあるが、この不思議な感覚はなんだろう。現実に戻る反発心か、みんなと別れるさみしさか、無邪気に遊んだ充実感か。

釣り糸が絡み合うことを「おまつり」という。普段いろんなことをしている人たちがひとつの目的のため、いろいろな形で絡み合う儀式「お祭り」から来ているのだろう。
豊作になったことを喜ぶ「お祭り」と豊作を祈る「お祭り」がある。

日本中、世界中の「お祭り」を見てみたい。そうすれば、その地域の自然環境、人間関係、作物、天災、食文化・・・歴史のすべてがわかるような気がする。