コラム-Vol.17 ありがた迷惑

知り合いの食堂に入って、鯖の塩焼き定食を頼んだらサービスで納豆を付けてくれたが、私は納豆が食べられない。コンビニで弁当を買ったら頼んでもいないのに温めてくれた。漬物か温まってしまうし、冷たいご飯が食べたかった…。梅定食を畷んだら松定食が来た。交通渋滞で「お先にどうぞ」と言ってくれたクルマに1分後追突された。引越を手伝ってくれた友だちにシコタマおごらされた。美容室で寝ていたら勝手に整髪料を付けられた、家に帰って寝るだけなのに…。小雨の中歩いていたらクルマで通った知人が駅まで乗せてくれるというので乗ったら、渋滞にはまってしまい会社に遅刻した。「ありがた迷惑とは」…相手のために良いと思うこと、相手に喜んでもらえること、相手が望んでいること、を確認しないで提供するサービスで、そのサービスの評判が結果的によくないこと場合によっては「余計なこと」になってしまう、しかし本質は「思いやり」があっての行動であることも確かだ。

私の最近の「ありがた迷惑」経験は、日本代表サッカーの試合を、たまたま会議で見られなかったので、帰り道にいつも聴いているカーラジオを消して、外からの情報を遮断しておいた。帰ってからドキドキしながらビデオで試合を見たかったから。しかし携帯電話はONのままだった、うかつだった。サッカー好きの友だちはいつもなら「見た?」って聞いてくるのだけれど、そのときだけは追って、「はい」という私の声も確認せず、第一声が「よかったな、3-0で勝ってさあ、オレもうれしいよ」だった。続けて「あの2点目はさ…」と言い出したところで話すのを止めた。どうやら私が無言だったので気持ちを察したらしい。「こいつ余計なことを言いやがって」………口には出さなかった。「そうかよかったな、じゃあこれから帰って、ニュースで見るよ」と言った。友だちは、「あれれれ、見てなかったの???悪かった悪かった、じやあ帰ったら楽しんで見てよ」。私はサッカー好きなので試合の結果がわかっていてもそれなりに楽しく見られる、しかし楽しみは半減。友だちは、私がリアルタイムで見ていると信じて疑わず、喜びを分かち合い、さらに盛り上げようと思って電話してきたに違いない。

15年程前に発展途上国の国を訪れた時のこと、その国には100円ライターが存在しなかった。ひとりの現地の人がとても親切にしてくれたので、帰国するときお礼にと100円ライターを置いてきた。便利だろうと思い「いいだろう」と言わんばかりに白慢げに渡した。その時その人はとても喜んでくれた。しかし私は帰り道、「もしかしたら余計なことをしたのかなあ」と思った。100円ライターのガスがあるうちは便利なものだと思うだろうけど、ガスがなくなったらただのゴミ。そこでは100円ライターは売っていないので買えない。そして「元の生活に戻るとき、以前より火を熾すのに苦労するだろう」と。世の中が便利になっていくということは、人が不器用になっていくことを意味する。私が渡したあの100円ライターは「ありがた迷惑」だったのかもしれない。