コラム-Vol.33 沖縄…離島編

とまりん港から座間味行きのフェリーが出港するのは午前10:00。5月下旬は梅雨のシーズン、比較的空いているというので船の予約もせずに港へ着いた。バイクと共に船に乗り込む。出港のときは必ず「蛍の光」が流れるものと思っていたら、期待を裏切り静かに船は動き出した。客室は本島から帰省する人や、仕事に向かう人でにぎわっていた。一人旅の退屈を感じないまま11:30阿嘉島に到着…港まで宿の人が迎えにきてくれていた。着いた日は午後から雨。島に一軒だけあるパーラーへそばを食べに。(そこから4日間続けて同じ店での昼食は初めての経験)そして胃に納まる暇もなく、沖縄本島から乗っていったオフロード用のバイクで島の一周を試みたが、雨が降り始めたため部屋に戻り、その後叩きつけるような雨の景色を部屋の中から暗くなるまで眺めていた。

翌朝からうその様に晴天が続いた。兵庫県出身のダイビングガイドが阿嘉島ならではのポイントに連日連れて行ってくれた。ガイドは「腰が痛い」と繰り返していた。数日後に行われるバレーボール大会の練習が原因で。島対抗で行われるこの大会は、とても熱く盛り上がるそうだ。毎年持ち回りで会場が変わり、今年は慶留間島での戦い。パチンコやカラオケ、ゴルフ場もないこの島の熱いゲームを通じて本来の地域社会を築く。理屈抜きのうらやましい光景と思えた。

青い海と空だけの世界、ボートの上にはガイドと私だけ、近くに見えるのは無人島。窒素抜きインターバルの間、ボートに仰向けになってゆらゆら揺られていると、都会での喧騒を忘れ、自然に生かされている自分に満足していった。海とサンゴとサカナ、その美しさに2日間の予定が3日続けて潜ってしまったのである。

島の人口およそ300人と慶良間シカ。島には飲み屋が2軒だけ、内1軒は私が滞在した3日臨時休業、必然的に残りの1軒に3晩とも世話になった。開店は19時と聞いていたが、初日は20時30分まで待たされ、いきなり“島人タイム”を経験。宿の食事を断ってしまっていたので、私には待つ以外の選択肢がなかった。島人は、知らない私にも挨拶してくれた。最初はすこし戸惑ったが、何度か繰り返すうちに自ら先に挨拶するようになっていた。

本島に帰る前の晩、宿のご主人と泡盛を酌み交わし、慶良間諸島と沖縄の歴史、そして環境の話をじっくり聞いた。古く貿易船の船長は慶良間諸島の人たちだったこと。神戸や横浜など大きな港近くに必ず中華街があるのは、ある意味来訪者を歓迎しなかったから。そして那覇の港付近に中華街がないのは、沖縄の人々が持っているWELCOME精神で来訪者を優しく迎えたからで、固まることなく誰もがこの島この街に溶け込んでいき、独自の社会を形成する必要がなかったということ…

この島の仕組みが世界平和と環境保護に繋がり、この島の教えが日本の宝と成っていけばと思いながら島を後にした。