コラム-Vol42 古き良き地名、クジラの話

茨城の田園地帯に「鯨」という地名があり、東鯨と西鯨に分かれている。海の近くと想像されるかもしれないが、実は関東平野の中央に位置する。その「鯨」を挟むように小貝川と鬼怒川という2本の川が流れている。その昔、太平洋から利根川、利根川から小貝川と鮭のように川をさかのぼって鯨がここまでやって来たのか、と子供心に思ったことを記憶している。大人になって考えればありえない話だが内陸で貝殻や魚の化石が見つかったりすることもある。ということは今では想像できないところでも本当に鯨がいたと考えることは単なる空想でもない。鯨の隣には「砂子」、その隣は「亀崎」と、海に由来する地名も数多く点在するのである。

地名には必ず意味がある。そこで鯨と付いた理由を少し想像を膨らませて考えてみると、①遠くから見ると立体的な森が鯨のように見えた ②上から見た地形が鯨に似ていた ③鯨の名を持つ領主が存在した ④古くから平地だったことから久平(くひら)という言葉が訛って鯨になった ⑤地域の有力者の顔が鯨に似ていた ⑥地域を治めている殿様の大好物が鯨だった、などなど。文献や歴史書で調べることなく、思いつきだけで書いているので悪しからず。

ところで、北海道の釧路から登別に向かう海岸線沿いに鯨半島というところがある。遠くから見ると確かに鯨が丘に打ち上げられたような形をしている。その昔、アイヌの人たちが鯨だと思い込み一生懸命捕獲に向かったそうだと、地元の友人に言われて実際に見てみたが、確かに納得。どこまで近づいたときに、「鯨ではない!」と気づいたのか、そしてその後彼らのとった行動は…とても気になる。

東京港区では、笄町、材木町、霞町、本村町、芝白金三光町など昔の地名が消えてゆき、西麻布、南麻布、元麻布、東麻布に変わり、また1丁目、2丁目などと細分化された。東西南北、そして1・2・3・4と分かりやすくしたと思われるが、返って分かりづらくなった気がする。北麻布がなくて元麻布があるのは何故?

目黒区には、今でも平町、柿の木坂、八雲、鷹番、碑文谷など、昔の情緒のある地名が残っているところもたくさんみられるが、中には「南」という殺風景な地名に変わった地域もあり、ずっとそこに住んでいる方々がとても残念なことだと話していた。外苑西通りと六本木通りの交差点が「西麻布」に変わってからかなりの時間が経過したけれど、今でもタクシードライバーには「霞町の交差点」のほうが通じたりする。同じように建築不動産業界も、広さや単価を現すとき公的には㎡を使うが、坪を使ったほうがピンとくると言う人も多い。

文化が変わることはごく自然なこと。しかし、地名は人に例えると名前。簡単に変えるのはいかがなものだろう。合理的というだけで地名が変わることにはいささか不自然さを覚えるのは私だけなのだろうか。