コラム-Vol50 思いやりのランチ

7月のとある日、35度の炎天下に10分ほど並び二人満員の店内へ入った。「いらっしゃいませ!久しぶりね」と愛嬌たっぷりに迎え入れる。ここの女将さんは、3日ぶりでも3ヶ月ぶりでも同じ台詞。たぶん冗談のつもりだろう。もうすこしマメに来てよ、といわずにいつもそういうのだ。ブラックジョークといえなくもないが、実にウィットに富んでいてユーモアがある言い方をする。

冷やし中華と中華丼カレー味を注文。中華丼のカレー味は珍しく、前回私がそれを食べたとき、後輩はうらやましそうに見ていた。うまかったと言ったこともしっかりと覚えていた。

5~6分ほどして冷やし中華と中華丼がテーブルに。冷やし中華は野菜たっぷりで赤緑黄色に彩られ食欲をそそる。そして中華丼は……カレー味ではなかった。「すみません、間違えました。すぐ作り直します」……数秒の沈黙。

「いや、普通の中華丼でもいいですよ。それはそれで好きですから。カレー味は次回食べますよ」後輩のその対応に敬服した。きっと仕事の際にも同様の対応をしているだろうと想像した。

「ありがとうございます。助かります」と店員。「カレー味もうまいけど、やっぱり普通のしょうゆ味の中華丼はもっとうまいよ」と私は何故か作られた中華丼の味方をしてしまった。後輩がより食欲を増すように…。注文を間違えることはプロとしてはあってはいけないこと。しかしそのミスを受け入れ楽しんでしまうことは、実は人生の楽しみ方にも通じる。

後輩はご飯粒一つ残さず完食、まるで器を舐めたかのようだった。そして「二人分一緒に勘定お願いします」「1,300円です」「あれっ、1,550円じゃないんですか?」「中華丼はワンコインにしておきました」と奥の厨房から店主の笑顔。250円おまけしてくれたのだ。ちょうどいいディスカウント。
間違って作ったメニューを受け入れて食べる、食べた人への誠意として少々のおまけ。たわいもない話だが、余計なことを言わない一連の大人のやりとりには人間の誠意とコミュニケーションの原点を感じた。

食事は何を食べるかではなく誰と食べるかが大切、といった人がいるが、それに加えてやはり味とお店のスタッフも大事な要素。この店は活気があり笑顔が絶えない中華料理店。いつも美味しく気分よくいただける。元気をもらって午後からの仕事にも好影響をもたらす。

こんな思いやりを持つ人が多くなれば無用な揉め事や無駄は無くなり、ストレスも減る。それは快適な暮らしにも通じる。こだわりより歩み寄り、思いやりを受けることより与えることがより賞賛される。私が次に何を注文するかは決まっていないが、後輩は間違いなくカレー味の中華丼にするだろう。そのときはきっと、よりおいしく感じるに違いない…。