Sudo’s WATCHING-Vol.16

■コンクリート・セメント・モメント

コンクリート[concrete]の材料はセメント・砂利・砂一木で構成され、住宅一橋・トンネル・空港・道路・港湾など幅広く建築現場で使われています。その理由は容易に大量の材料を手に入れることができ、構造物の形状や寸法など自由に成型できることです。モルタル[mortar]は一般的にコンクリートから砂利を除いたもので構成され、外壁塗装・煉瓦積み・タイル貼りなどに使われています。

1820年代にイギリスでセメントが生まれ、1860年代にフランスで鉄筋コンクリートが生まれたと云われています。物と物との結合という意味があるセメント[cement]には糊・にかわ・セメダイン・ハンダなども含まれますが、一般的には建築物などに用いる、水と反応して硬化する無機質の結合材料を指します。無機質の結合材としては、水で練って固め乾燥後強度が出る粘土モルタルがあり、これが最も古くからあるセメントと考えられています。約5000年前に建設されたピラミッドなど、石造り建築の石材同士の接合材として使われたのが、粘土モルタルと焼き石こうを水で溶いた石こうモルタルです。

現在では、研究も進み用途に応じたたくさんの種類があり、私達の生活している環境の中で欠かせない存在となっています。

エ事部

■端午の節句

古代中国では、端午の節句の日に蘭の湯に浸かり、薬草である菖蒲酒を飲み、その菖蒲で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。

この行事が後に平安時代の貴族から鎌倉の武家社会へと拡がります。特に武士は菖蒲を「尚武=武事による徳を尊ぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになります。

江戸時代に入ると幕府は5月5日を重要な日として定め、大名や旗本が式服でお祝い品を携え、江戸城に出向くようになります。これ以降、武家に男の子が生まれると、門前に馬印や幟(のぼり)を立てて男児誕生を皆に知らせお祝いしました。この風習がやがて裕福な庶民へと拡がりますが、庶民は幟旗を立てることは許されていなかったので、代わりに「鯉のぼり」を陽げるようになります。後に庶民は鯉のぼりの他に紙の兜や人形を作り、武者人形などに発展していきました。

端午の節句に食べる「柏餅」、柏の木は新芽が出ない限り古い葉が落ちないそうで、「家が絶えない、後継者が絶えることが無い縁起の良い木」として考えられ、室町末期ごろから広く食べられていたそうです。

■母の日

母の日の由来は20世紀初頭のアメリカ、母親の命日に「亡き母を偲ぶという花言葉」の白いカーネーションをたむけ母親を偲んだ女の子がいたそうです。これに参列者が感動して、その噂が全米へと広がっていきました。後に国民が、「母に感謝の気持ちを捧げる休日」を作るよう議会に呼びかけ、やがてその声は大統領に届き、1914年の議会で5月の第2日曜日を「母の日」と定め、国旗を掲げて母に感謝の意を示すようになりました。

「母の日」が日本に伝わったのは大正時代で、青山学院の教授だった女史により紹介され、キリスト教関係の団体を中心に広まりました。昭和に入り3月6日の皇后誕生日が母の日となりますが、戦後本家アメリカに合わせたかたちになりました。当時、母が健在な人は母性愛を表す赤いカーネーション、母が亡くなられた人は白い花を胸に飾り感謝の意を表していましたが、次第に「カーネーション」を贈ることが定番になりました。他には「ラン」や「ユリ」の花も人気のようですが、最近「自分が贈りたいもの」や「母が望むもの」を贈ることが主流になっています。

■社員の独り言その3

いわゆる「完璧な」人間なんていませんよね。人はそれぞれの「持ち味」があり、それが公私ともに場面によって長所になったり短所になったりすると思うのですが…。

世の中には人のあら探しが好きな人もいるようですね。人の悪口を聞いた時は「ふ~ん」と聞き流しておけばいいと思います。ただ、自分の短所や手落ちを指摘された場合、「あ~、そうだな」とすんなり納得してしまう場合と、「あんたには言われたくないね!」と反発してしまう事ってありませんか?

「あんたの言っていることは“そのとおり!”わかっている!でもあんたに言われても説得力が無いよ、逆にあんたにその言葉をそっくりお返しするよ」って、腹の底で叫んでいる。
同じことでも「この人」から言われると納得して、「あの人」から言われると反発してしまう。「あの人に注意されたら素直に聞こう」って思ってもらえるような人間になりたいと思います。