コラム-Vol.26 誕生日

毎年誰にでもやってくるお祝い。そうです、誕生日は平等にやってくるのです。そして毎年お祝いする人、しない人。ひっそりお祝いする人、大勢の人を集めて派手なパーティをする人。
私が知る限り、日本には「誕生日祝いの歌」がないことに最近気付きました。パーティの席では決って「Happy Birthday to you…」。そして誕生日祝いにケーキは何故? 理由はバレンタインデーのチョコレートと同じですか? 歳の数だけローソクを立て、一気に口で消すのは何故?

誕生日にはプレゼントの習慣もあります。生活必需品、身に付けるもの、置物飾り物系、ケーキやお酒などの飲食関係、手作りのもの、食事に招待、などさまざまです。すこし大袈裟ですが、プレゼントを見ると持ってきた人の価値観や性格がわかる気がします。気まじめな人、大雑把な人、シャレの分かる人、サービス精神が旺盛な人、細かい人、ケチな人、見栄っ張りな人、寛大な人など。もちろん、その人との付き合いの度合いや立場(友だち、先輩、後輩、恋人、仕事関係など)を考えてプレゼントを決めているのでしょう。
誕生日が1年に何回もある人がいるそうです。ということは、もし5回だとすると、1年に5つ歳をとり、一般の人が二十歳になったとき、すでに100歳。還暦や喜寿米寿を過ぎてから成人式を迎えるのです。反対に、うるう年の2月29日に生まれた人が成人式を迎えるのは5歳。なんと20倍もの差があるのです。5歳と100歳のひとが同時に成人式を祝う、なんとも滑稽な話です。私が知っている「年に誕生日が5回ある方」とは、二十歳を過ぎてから誕生日を5回に増やした女性です。その部屋は「有名ブランド品の誕生日プレゼント」でいっぱいだそうで、金欠病になったとき、それらのプレゼントが癒してくれるのだとか…。

私は誕生日の想い出があまりなく、派手な誕生日パーティの経験もありません。歳に関係なく、なんだか照れるのです。友人に「パーティやってあげる」と言われても、大人気なく断ってしまいます。ひっそりお祝いするのが性に合っているのかもしれません。プレゼントをいただいたことはありますが、誕生日を覚えてくれているだけで充分です。若い頃に一度だけ、年一回の自分へのご褒美をと思い、自分にプレゼントを買い、自分で自分にお祝いメッセージを送ったことがあります。なんだかナルシストのようですが、私には決してそういう感覚はありません。誕生日の贈り物に限らず、買い物は自分のものより誰かにあげるものを買うときの方が私にとっては楽しいのです。それも一緒に買うよりも、その人を想いながら買うものや色を考えると心がウキウキします。時には失敗することもありましたが…。

成人式の日、私は内装屋でジュータンを貼るアルバイトをしていました。現場に向かう途中、明治神宮あたりで振袖を着た美しい女性を横目に見ながら、クルマで通り過ぎたことを記憶しています。

これからも幾度となく誕生日がやってきます。大人らしく、恥ずかしがらず、堂々と迎えたいと思っています。