コラム-Vol.31 大きな木

朝4時に起き、予約しておいた弁当をふたつ持ち、登り始めたのは夜明け前の6時。30分程歩くと右手の山あいに太陽が顔を覗かせた。それから15分、学校跡地を左にカーブした後の休憩所でおむすび弁当を口にした。2時間以上トロッコ道を延々と歩き、さらに険しい山道を2時間以上、そして…

まっすぐ伸びていなかったゆえに伐られず長年生きてきた幸運の木。「お前もわざわざ遠くからオレに会いに来たのか」と言わんばかりの堂々たる存在感、何千年も生きてきた風格、自然現象さえも太刀打ちできない力強さ。オーロラや大海を見ると己の小ささを実感するが、この木には威圧感はなく、返って安堵感が私を包み、そして夢も膨んだ。

山道を登るにつれて呼吸が乱れ、太ももとふくらはぎがはってきた。あと少し、もう少し、幾度となく休んだが、山登りの経験がなかった私でも、一度たりとも引き返す気にはならなかった。途中で出会った翁杉、運良く居合わせたガイドの話によると樹齢2,000年、次のガイドは樹齢2,500年と言う。しかし私にはその500年の差なんてどうでもよかった。縄文杉は専門家の見方により同じものでも樹齢2,500年~7,200年の大きな開きがあり、幹の中の空洞部分に対する考え方の違いでこれだけ年齢の差が出てしまうらしい。森の仕組みと歴史の情報は欲しくても、自分のペースで歩き、五感で感じるものを大事にしたかったので、私はガイドを付ける気にはならなかった。

屋久島の森はアドベンチャー&ワンダーランド、そしてコケの芸術。縄文杉を目指す前日、足慣らしに歩いた白谷雲水郷はまるで童話の世界。数千年生きている木、蔓がねじり鉢巻のようにからみついた大木、再生木、屋久シカに屋久サルも…。水が澄み、空気が澄み、ゴミひとつ落ちていない神聖な場所。

縄文時代を想像し数千年の力をもらい下山、途中で湧き出ていた水を口にすると元気が出た。しかし、1時間くらい歩くと膝が痛み出す。縄文パワーは心に沁み込んだものの、体にはすぐに効き目がなかった。単に私の体力の問題か…。2つ目のお弁当を終わらせた後、急な山道を下りきり、元のトロッコ道に出たころは足の痛みも消え、それからは快調に歩くことが出来た。途中で汲んできたペットボトルの中の湧き水に木漏れ日が差し込み、キラキラ輝いていた。トンネルを抜け出発地点の建物が見えてきたとき、経験したことのない満足感が汗と一緒に噴き出した。

ウィルソン株は、中に入ると10畳ほどの、ちょっとしたリビングルームの広さ。見上げると、自然が創ったハート型の天窓に感動、ずっとこの形が変わらないで欲しいと願った。映像でも、写真を何百枚見せてもこの感動は伝えきれないだろう。往復10時間の道のり、縄文杉は私の心をとてつもなく大きくしてくれた。